哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

苦諦抜きで悟りを説くと何が起きるか

意識の正体「私」の謎を解く【スマナサーラ長老切り抜き】 - YouTube

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[感想]

人間は

物質、感覚、表象、意志、認識の積重ね

で出来てて「我」などない。

天も

感覚、表象、意志、認識の四要素の積重ね

「我」はない。

 

ブッダ「無我」を示し、四聖諦を説いて

人天の衆生を解脱に導いた。

 

近頃、ブログでも、宗教系のyoutubeでも、無我を軽々しく扱う人が急増してる気がする

「ああ無我でしょ。自我ってほんとは無いよって話。知ってますよ。わたしちゃんと理解してますよ」

と平気で言う人が出てきた。おれが若い頃ほとんどいなかったのに。彼らの共通の特徴は、死と苦諦抜きで悟りを説くことだ。死と苦諦は自他共にウケないから、脇に退けて人目に触れないようにしてる。この判断は、彼らにとって正しい。実際、世の大多数の人々は、苦諦を蛇蝎の如く嫌ってるからだ。まして「死の観察」などは。それを証するように現代社会では、死は能う限り周到に隠されてる。

 

 

これは忌忌しき事態だとおもう。

なぜなら、こういう人は、

 

無我はわかっているのに、

欲望むさぼりのある人になる

 

という、ある意味最悪のゾーンに落ちやすいからだ。

 

日本はこの前の戦争中、滅私奉公などの無我風言辞でエゴを隠し、責任を回避しながら、個々人の私利私欲を実現しようとする、醜怪な欺瞞が国中で蔓延はびこった。

この悪夢が理論武装したバージョンアップ版でよみがえるだけだ。