哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ひとりで対談ごっこ(一人四役)


 自分の分裂気味の考えを整理するために、架空の人物を3人でっち上げて、対談させてみることを思いついた。

登場するのは、

キリスト者気取りの人。
長いので略してキリスト者

②仏教者気取りの人。
略して仏教者

③現実主義者気取りの人。
略して現実主義者

それから、司会者役の人も必要だ。

で、計4人。


それじゃあ、いってみよう!




司会者
ゲーテは人生のたそがれに「生涯に本当に楽しかったのは合計数時間だった」ともらしました。
フローベールは晩年、公園のありふれた家庭人を見て「わたしにもああいう生活がありえたのに」とつぶやいたそうです。
森鴎外は「ばかばかしい!」とひとこと吐き捨てて死にました。
ところが、世間のおおかたの人は、こういう話をいくら聞いても、人生に根源的不安を感じたりしない。
妙に落ち着いているんですね。
最初に、こういう人間存在と世界の現状から話を始めていただきたいと思います。

仏教者
世界は、こんがらがった糸の塊のようなものです。
これを、さっぱりとほぐしてしまうことはできそうもない。


キリスト者
勇敢な者が、ひとつのねじれをほぐしたとしても、それによって別のところに複数の新たなねじれが出現したりしますね。


現実主義者
無数のねじれと結び目の一つ一つに、それを命がけで守っている阿呆どもも居るし(笑)



キリスト者
人間個人についても、こんな人柄の人ならかならず大往生できるとか、こんな人物なら畳の上で死ねるというような人は、いまはひとりもいなくなった。


現実主義者
でも、ぼくは今までのところ、この人間社会はよたよた歩きながら、少しづつ良くなってきたと思ってます。
現代日本などは、有史以来の良い状態かもしれない。


キリスト者
しかし、いつかは人間が到達すべき理想の世界と比べると、現状は惨憺たるものであることに変わりはない。
少しづつでも良くなっているとも思えない。


仏教者
幸福とは美味いものを食べることだと、いい年の大人が平気で答えるのが、日本の戦後の現状でしょう。


キリスト者
戦前、戦中も同じ思いだったけど、そうでないふりをしていただけですよ(笑)


現実主義者
だから、現代のほうが良いとぼくは言ってるんですよ。
嘘やごまかしより正直が良いでしょう(笑)



キリスト者
しかし、もちろん人間の幸福は食べることではない。


仏教者
食べることは、幸福どころか、実は苦なんですが、まあ、それは今は言いません。


キリスト者
現代は、あらゆることがなんか変だと、ごく普通の人々が感じている時代でもあると思います。
そして、この感じはだんだん強くなり、不可避の破局に向かってゆくに違いない。


仏教者
おどかしちゃいけませんよ(笑)
だけど、現代人は寸暇を惜しんで人生からより多くの快感を奪い取ろうという者がほとんどですからね。
悪魔は、やることがなくて暇をもてあましているでしょう(笑)


キリスト者
人間はせんじつめれば消化器と生殖器だ、と昔どっかの国の作家が言っている。
現代人を見れば、別にせんじつめなくても、そう見えてくるんだ、恐ろしいことに(笑)


現実主義者
いや、だからそこは、あえて居直っているんだと思うな。


キリスト者
たしかに一昔前の偽善的精神よりは一歩の成長だといえぬこともないけど…


現実主義者
いや、たしかに成長したんだ。


キリスト者
しかし、いつまでも居直りっぱなしではいられない。
原水爆の用意されてある現実に、理性的な対応をしているとはいえない。



仏教者
世界のありさまを、別のたとえで言います。
用向きや目的地を聞かずに、あわてていっせいに走り出してしまった、元気はいいが粗忽な子供たちに似ています。
彼らは誰一人「なんのために、どこへ」という肝心のことを知らないで走っている自分達のばからしさを考えてみようとしないんです。
そんなことより、自分の側を走り抜けて先に行こうとする他の仲間に遅れをとるまいとする焦りと功名心で心中をいっぱいにしてしまっているんです。
なにかのキッカケで運良く気づきかけても、そんな役に立ちもしないことをのんきに考えていると、みんなから置いてきぼりにされると恐れて、せっかくのチャンスを自分で潰すんですよ。


キリスト者
そうなんだよなあ。
だけど、愚かではないか。
どうして役に立たないと思ってしまうのか。
それに、こういう疑問が決してのんきには考えられないことも知らないんだ。


仏教者
それでうまくいくならいいんだけど、人が人を憎んだり、傷つけたり、おとしいれたり、殺したりする…信じられないことが日常になっているんですね。
こんなことがなくても、もともと人間は、戦慄的な運命に呪われながら生まれてきているんです。
それなのに、そのもとからある苦しみの上に、自分達でつくった苦しみを幾重にも重ねて、もう信じられないような修羅・餓鬼・畜生・地獄の世界にしている。


現実主義者
ぼくは、人がふだんからあまりにも社会からいじめられすぎていて、その怨念が変な具合に噴出してくるんだと思う。
人間社会を今あるように維持させているいろんな装置…社会通念、道徳、タブー、習わしといったものの多くは真理の装いをして、その実、人間をいじめているものでしかない。
そのあるものは、真理の一部を含んでいるため、別のあるものは真理のすぐ隣に位置している虚偽であるために、見誤れて、度外れた尊重を要求し続けて、人間を抑圧するんです。


キリスト者
しかしね。その本質的原因には、人が人間存在としての、自らなすべき命がけの任務を先へ先へと一世代ごと、一世代ごとひきのばし続けては惰眠を貪ぼらんとする欲望におぼれたがるということがあります。



現実主義者
それは、たとえばこういうことでしょうか。
何か事件を起こした人の親もとに「自分が親なら、世間への申し訳なさに死ぬだろう。おまえたちはよく平気で生きていられるものだ」などと、しつこく電話してくる…


仏教者
「おまえたち親は、責任をとって死ぬ気はないのか」って、それでなくても弱りきっている父母の心を自分の力で決定的に破壊させるかもしれないという快を貪る匿名の「道徳家」達だ。


現実主義者
あるいは、わが子を誘拐されて憔悴しきっている親に「もしもし、おれは犯人だが」と電話をかける無関係な人間。捕まると「会社で不愉快なことがあったので、つい出来心でやりました」。
あるいは、少女を暴行して、逮捕されて取調べを受けると「何々(テレビゲーム、劇画等)に影響されたから」などと、臆面もなく自己分析を述べる未成年、A、B、Cとか。人をひき殺すかも知れぬ未必の故意の快を貪る暴走運転や相手の事故を誘発するあおり運転とかね。
みな、どこかでいじめられた怨念が八つ当たり的に噴出してるんだが、自分のやるべきことを全然せずに惰眠を貪っている姿でもある。


キリスト者
犯罪者は、心に病気を持った患者だって言う人がいるけど…


仏教者
心に病気を持っているのが患者なら、ほとんどすべての人間が患者ですよ。


現実主義者
普通の人は、まだ犯罪を犯していない患者ってだけだ。


キリスト者
しかし、犯罪者は特に重症で、わたしたちは心を病んではいるが、軽症だと普通の人は思っている。


仏教者
(きっぱりと)それは、むしろ重症の兆しです。


現実主義者
道徳家ぶって匿名の電話をかけたりするのは、たしかにそうですね。





(続く)

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