ヴィパッサナー瞑想は、一心不乱の心構えでやる必要がある。でなければ、ただの時間つぶしになってしまうかもしれない。 |
一心不乱というと、大変そうだが、やがて熟れるにしたがっておのずからそうなるのだと思う。 |
熟れるまでの1ヶ月、1年、10年の、場合によっては短くない期間、厭きずにひたすらやり続けるには、そのための専用エネルギー源が必要不可欠だ。 |
ほとんどの人が、やり始めて5分で挫折を2,3度やった後、あっさりあきらめてしまうのは、この動物本能を制圧する特別例外的な強いエネルギーの助けがないからだ。 |
ターン・プッタタートは「何ものにも、私、私のもの、と執着しない」というブッダの説く最高の智慧が、そのエネルギー源だと云っている。 |
しかし、この無執着の智慧を得るためにはどうすればいいのか。 |
おれは、苦聖諦を学ぶ以外に道はないと思っている。 |
苦聖諦が身につけば、俺欲、俺のもの欲がしだいに弱くなり、自然に内から安定し、これこそは本当の大安楽だと知ることになるのだと思う。 |
この「と思う」をとりさるためには、身をもって実践してみる以外に方法はない。 |