哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

映画『鬼の棲む館』

邦画『鬼の棲む館』

 

 天才谷崎潤一郎の戯曲『無明と愛染』の映画化。

 

 

【キャスト】
勝新太郎高峰秀子新珠三千代佐藤慶
【ストーリー】ネタバレ注意
 強盗殺人を生業とする無明勝新とその情婦愛染新珠三千代が山奥の廃寺に住んでいる。そこへ無明に捨てられた妻高峰秀子が訪ねて来るところから物語が始まる。楓は居座り3人の奇妙な共同生活となる。
そこへ道に迷った真言密教修行僧佐藤慶が来て一夜の宿を乞う。
無明は僧を殺そうとするが、僧の神通力に屈服させられる。
しかしその僧も愛染の色仕掛けにあっさりやられてしまい…

 

感想
 男の助平心は死ぬまで治らん、悟って煩悩を滅するなど絵空事(つまり聖者などいない)というのが谷崎の生涯変わらぬ確信で、根底からブッダをペテン師とみなすことにおいて谷崎は本居宣長と双璧をなす人物だとおもう。この作品はその谷崎の思想が気持ちいいほど端的むき出しに表現されている名作だ。
谷崎の説は、修行を積んで空を自在に飛べるようになった久米の仙人が洗濯女の太腿を見て墜落したという話と同様で、昔から大衆に好まれ支持される。
悟る修行なんて無駄は止めて美女に身を捧げるM男になれという谷崎式解決策は過激で大衆的ではないから、一部の男女が熱烈支持するに止まっているが。

 

以下、ネタバレ注意

 

 無明愛染を切り殺して修行僧twoになる映画のラストシーンは、物語を無難に収めるためのリップサービスだとおもう。