邦画『鬼の棲む館』
天才谷崎潤一郎の戯曲
『無明と愛染』の映画化。
より引用させていただきます。(ネタバレ注意)
南北朝時代。戦火を免れた山寺に、無明の太郎と異名をとる盗賊が、白拍子あがりの情人愛染と爛れた生活を送っていた。自堕落な愛染、太郎が従者のように献身しているのは、彼女が素晴らしい肉体を、持っていたからだった。晩秋のある夕暮、京から太郎の妻楓が尋ねて来た。太郎は、自分を探し求めて訪れた楓を邪慳に扱ったが、彼女はいつしか庫裡に住みつき、ただひたすら獣が獲物を待つ忍従さで太郎に仕えた。それから半年ほども過ぎたある晩、道に迷った高野の上人が、一夜の宿を乞うて訪れた。楓は早速自分の苦衷を訴えたが、上人は、愛染を憎む己の心の中にこそ鬼が住んでいると説教し、上人が所持している黄金仏を盗ろうとした太郎には呪文を唱えて立往生させた。だが、上人はそこに現われた愛染を見て動揺した。その昔、上人を恋仇きと争わせ、仏門に入る結縁をつくった女、それが愛染だった。上人に敵意を感じた愛染は、彼を本堂に誘い篭絡した。…(引用終)
感想
男の助平心は死ぬまで治らん、悟って煩悩を滅するなど絵空事(つまり聖者などいない)というのが谷崎の生涯変わらぬ確信で、根底からブッダをペテン師とみなすことにおいて谷崎は本居宣長と双璧をなす人物だとおもう。
この作品はその谷崎の思想が気持ちいいほど端的むき出しに表現されている名作だ。
谷崎の説は、修行を積んで空を自在に飛べるようになった久米の仙人が洗濯女の太腿を見て墜落したという話と同様で、昔から大衆に好まれ支持される。
悟る修行なんて無駄は止めて美女に身を捧げるM男になれという谷崎式解決策は過激で大衆的ではないから、一部の男女が熱烈支持するに止まっているが。
悟る修行なんて無駄は止めて美女に身を捧げるM男になれという谷崎式解決策は過激で大衆的ではないから、一部の男女が熱烈支持するに止まっているが。
以下、ネタバレ注意