哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人生に意味はない。…で、どうするの?



本当にそうだと解った人間は、悟るために修行する以外の道は最初からなかったと気づく。
しかし大多数の人間はこの事実に耐えられず、疲れ、押しつぶされそうになる。
法華経に「化城の喩え」がある。
目的地はまだ影すら見えないのにすでに疲れきってしまった旅人達を見た指導者ブッダの慈悲が幻の城を出現させる。人々は喜び、ゆっくり休む。
もちろんこれは元気を回復したら本当の目的地(悟り)に向かって再出発するための休憩だ。
法華経の話は、この後ブッダは化城を消し去り、元気になった人々と出立することになっている。
しかし、おれが現実を見てみると、実際はそうなってない。
「ここは目的地ではない(ここに意味はない)」と聞かされた後も、旅の辛さを嫌う大部分の人間は化城に居座り、化城でそれなりに穏やかに死ぬまで暮らそうとする。彼らの化城は消えていないのだ。
ブッダほど先が見通せない彼らは、自分達なりに最善とおもえる判断を正しくしたといえる。自暴自棄になるよりはずっと良いじゃないかと、おれはおもう。


[同日追記]
 現状の仏教はブッダの明晰判明な教えと、弟子たちの曖昧朦朧たる教えがごちゃ混ぜだ。
ブッダの直説を小乗・大乗に分けることなどできっこない。そんな区別は不肖の弟子たちの妄言だ。
一般に化城喩は、小乗の化城で一休みさせて大乗に導く方便の説明ということになっている。
おれは化城喩のアイデアだけを活かしたいので、この説をとらない。