哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ヴィパッサナーとは何か(仮説)

かって人類のワンサイクルのタイトルで記事を書いた。

無意識の意識化、それをさらに無意識化する…これがワンサイクル。

これを何度も繰り返すのが、人類の運命なのかも知れないと、ふと思う。

無意識の意識化は、困難で偉大な事業だ。

しかしそれだけでは、結局どうしようもない。

救いのためにはその後、意識の無意識化が成されねばならない。


一回の人生で、このワンサイクルを完了する稀有な人間を聖者と呼ぶ。

大多数の人間は、最初のステップ(無意識の意識化)さえろくに始めないうちに、老死する。

無意識…平均人

無意識の意識化…野心家(悪人→正義の人)


さらに無意識化…聖者

これに、ちょっとおもいついたことを付け足す。
瞬間瞬間に五感から無意識に入っている情報は膨大だ。
(自然状態の)意識は無意識に対する受信機に過ぎず、しかも感度がよくないので、キャッチしているのはその10000分の1にも満たないだろう。

今かりに、無意識と意識の情報量を10000対1だと仮定しよう。
無意識から意識に流れる刺激は強弱さまざまで、あるレベルより弱いものを意識はキャッチしない。この場合意識がキャッチできるために十分強い刺激を伴った無意識からの情報は10000の内1だけだったという意味になる。

サティで意識の感受性能を上げて1を2に高め3に高め…究極的に10000(ブッダのレベル)を目指すのがヴィパッサナー実践だ。(←仮説)
「無意識の意識化」ということだ。これは人間の3つの成長段階の最初のステップだ。