哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

さっき送ったコメントです

kyomutekisonzaironさんのブログ「混沌の時代のなかで、真実の光を求めて」にさっき送ったコメントを再録しておきます。(ちょっと書き足しました)
「混沌の時代のなかで、真実の光を求めて」はhttp://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/folder/653583.html


もし人間が老病死しない存在なら、王位継承と妻子を捨て無一物の修行者になった釈尊は愚か者でしょうし、十字架上で虐殺されたイエスキリストは狂人でしょう。

トルストイ親鸞も不幸・不運な人間でしかないでしょう。

「平和な家庭の中に波風もなく、親も長生きをし子供にも恵まれ、生活にも貧しさを感じない」人には、そうとしか見えないでしょう。

彼らは、釈尊やイエスキリストが何千年も尊敬され続けている理由が、本当のことをいえば、さっぱり理解できないのです。


しかし、いうまでもないことですが人間は必ず死にます。例外はありません。


彼らは、自分が死なねばならないという事実を無視した愚かな幻想のなかで生活しているために、正しい判断ができないのです、さあいよいよ死ぬというその時が来るまでは…

その時が来て、始めて、釈尊やイエスキリストが死後何千年も尊敬され人類に記憶されてきた理由に気づき、自分は速やかに忘れられてしまう理由に気づくでしょう。