哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

毒を以って毒を制すでは、世の中に毒をばらまくだけ

より引用させていただきます。
 
 この世は、ほとんど嘘でできているのです。事実をねじ曲げることは、身の安全のためであると勘違いしているのです。政府は国民に嘘をつく。国は他の国に嘘をつく。社会も互いに嘘をつく。子供は親に嘘をつくし、親も子供に対して嘘をつきます。それで上手くいっていると思っているが、事実は違うのです。全く上手くいっていません。人との話合いは全然上手くいかない。商談は成立しない。国際問題などは解決しない。家族の中でもそれほど互いを信頼しない。人間は、人間を信頼しない。結果は生きることはただでさえ苦しいのに、嘘をつくことで悩み苦しみのどん底に陥ります。が、人は客観的な事実を認めようとしない。相手も嘘をつくから自分も適当に嘘をついて騙してしまえば自分を守れると思うのです。この世で何ひとつも上手くいかないのは、皆お互いに嘘をついて騙し合っているからです。「事実を語ることによって嘘つきに勝てるのです」と、仏陀が説く。ということは、嘘をつかない人は、世界に勝てるということです。
(引用終)
 
 
 
 
 
嘘は、どんな理由があろうと決してついてはならない。
たとえ戯れにでも嘘をついてはならない。


というのがブッダの教えです。
 
嘘をつくというたった一つの罪を犯す人に犯せない罪はありません(ダンマパダ 176)
 

 

しかし、

「窮余の嘘」「人助けのための嘘」「必要悪」「嘘も方便」を一切認めない、このブッダの教えを、世間はけっして受け入れない。

それどころか、ブッダを非常識なことを強弁している世間知らずと、内心で決めつけている。

世間というのは「嘘も方便」がブッダの教えだとおもっているくらい我が儘で浅はかなものなのだ。
 
聞く耳を持たないその頑なさによって、まさに世間は世間であり続ける。
 
 
 嘘について、真に深く正しいことを教えているのは、世間ではなく、ブッダだとおもう。

 

 

 
 
より、さらに引用させていただきます。
 
 この世で世直ししようと思っている人々は、いすぎるほどいるのです。しかし、この世が良くなったためしはありません。毒を以って毒を制すというやり方で世直ししようとしているのです。努力すればするほど、世の中に毒をばらまくだけです。
 
世の中の悪は、悪行為を返すことで無くなりません。
 
悪に対して罰を与えても、処刑しても、死後永遠に地獄に落ちるぞと脅しても、人は悪行為を止めないのです。「あの人は盗人である。盗むことは悪行為です。私たちはその人の家に入って持っているものを盗んで、本人も痛い目にあわせれば、本人は盗むことがいかに悪いか理解するでしょう」と思って、盗みに対して盗みを働いても、盗みは消えません。盗人は皆、人のものを盗むのだから、私の盗む行為は決して悪くないと思うだけです。

釈尊の教えは、世の中の悪行為に対して、自分たちが善行為をするならば、悪に勝てると説くのです。盗む気持ちでいる人に対しても、優しい心で必要なものを与えたり、自分に出来ることをしてあげたりすると、相手の盗む気持ちも消えてしまうのです。人を心配する気持ち、慈しむ気持ちを理解するのです。善行為によってのみ、悪に勝てるのです。それは、世の中の悪に対しても、自分の心に潜んでいる悪に対しても、事実なのです。仏陀が比丘たちにこのように告げるのです。「世は嘘をつくが、我等は嘘をつかないようにと努め励みましょう。世は、殺生するが、我等は殺生しないようにと努め励みましょう。」いかなる悪に対しても、仏陀の教えはこのようなものです。(中部経典第8参照)
強調はわたしです)

 

経典の言葉
 Akkodhena jine kodham,
 Asâdhum sâdhunâ jine;
 Jine kadariyam dânena,
 Saccena alikavâdinam. (Dhammapada 223)
怒らぬことでじんに勝ち
善き行いで悪に勝ち
施すことでとんに勝ち
真実まことで嘘に勝てよかし
(ダンマパダ 223)(江原通子 訳)
 
(引用終)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (My Favorite Songs) 
これ2,425,296,040 回視聴されてる。
ビリーバーが毎夜観てうっとりしてんのかな。
 
もう1曲。
 
 
(過去記事統合増補編集再録)