哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

苦聖諦を学ぶことでしか得ることができない特別な活力


 釈尊は、最初の説法で、苦等の四諦の法を説いて5人を悟らしめた。(サールナートでの初転宝輪)

釈尊は人類最高の瞑想の達人だが、弟子に対しては、まず一切皆苦の真実に気づかせることを第一としていた。

自らの体験から得たその指導法は、45年間説法を続けて、生涯変わっていない。

入滅直前の最後の教えでも、四諦の法が最も肝要な真理だと明言している。

(仏遺教経より)
汝等、若し苦等の四諦に於いて所疑有る者は、疾く之を問うべし。疑を懐いて決を求めざる得ること無かれ。爾の時、世尊是の如く三たび唱えたもうに、人に問いたてまつる者無し。所以いかんとなれば、衆に疑い無きが故に。爾の時、阿珸樓駄、衆の心を観察して佛に曰して言く。世尊、月は熱からしむべく、日は冷ややかならしむべくとも、佛の説きたもう四諦は異ならしむべからず。
佛の説きたもう苦諦は真実にして是れ苦なり。楽ならしむべからず。
集、真に是れ因。更に異因なし。苦若し滅すれば、即ち是れ因の滅。因滅するが故に果も滅す。滅苦の道、実に是れ真の道。更に余道なし。
[引用終]




 修行者は、最初、漠然と瞑想するより、四苦八苦という具体的な事実にはっきり気づくことが、最も必要だという明確なメッセージだ。
じっさいヴィパッサナー実践の持続には特別な活力が必要なのだが、それは苦聖諦を学ぶことでしか得ることができない。






 一切皆苦(苦聖諦)は、釈尊の教えの入り口だ。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」では、その門が開かない。
当然、中に入ることはできない。ヴィパッサナー実践の持続ができないからだ。

稀な例外を除いて在家信者は、一切皆苦を理解したがらない。
ごまかしなく説けば、怒って聞かないだろう。

そのため、大乗仏教は、やがて苦等の四諦の法を、きれいさっぱり忘れてしまうだろう。それは、一般信徒主導の集団である限り、避けられない結果だ。


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「苦聖諦を得れば、世界のよい法もすべて得る」→
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(過去記事増補編集再録)

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