哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

歩け、走るな


たいがい人間のやることは、べつにはっきりした人生観があってやっているのではない。ただ肩の凝った時にトクホン貼ってみるぐらいの、まにあわせの人生観でやっているのでしかない。

澤木興道老師)


論議はこれ智者の有なり。
更に愚人の分にあらず。
また諍論(ざうろん)のところには(もろもろ)の煩悩起る。
智者はこれを遠離(をんり)すること百由旬(ひゃくゆじゅん)なり。
(いはん)や一向念仏の行人においてをや。

(法然上人)


テレビで、貧困、搾取、差別、戦争、愛国心…いろいろな社会問題の討論番組をやっていた。画面で発言者が「自分のアイデンティティのなさを愛国心で補填するのは卑劣」みたいな意味のことを主張している。


人類が抱えている世界のありとあらゆる問題を根治解決するには、個々人がブッダの教えをマスターするしか方法はないとおれはおもう。
これ以外のどんな方法もすべて肩の凝った時にトクホン貼ってみるぐらいの、まにあわせに過ぎない。
状況に参加するべきだといっても「いや、今はトクホンより、バンテリンがいい」みたいな、目先を変えただけのまにあわせをもうひとつ重ねてみても仕方ない。

しかし「本当に解決するために今からブッダの教えを学びましょう」と提案したら「緊急に具体的な解決策が必要なのに、そんな胡乱な話をするな」と一蹴されるだけだ。

だからおれは「論争の場から千km離れる(これを遠離すること百由旬)」態度を基本にしている。


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