哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

一時的な“解脱”症状

…未だかつて味わったことのない、そして説明のしようもない喜び、幸福が生じ、その人を異常なほど満足させます。
なぜならその時、体と心がすごく幸福で、いろいろな悩みは心から消え去り、以前愛していたものを思い浮かべても愛しくなく、憎んでいたものを思い浮かべても憎くなく、恐れていたもの、ぞっとしたもの、いろいろ気掛かりで心配だったことを思い出しても、そのような感情が生じてこない…
だから自分は、すべての煩悩から解脱したと勘違いをしてしまいます。なぜならその人の心は、そういう状態でいる間だけ、本当に煩悩から解脱した人と、一時的に同じ状態、あるいは同じ症状になるからです。もしそのような状態に満足してしまったら、それだけでヴィパッサナーの上達の道は断たれてしまいます。

そして幾らもたたないうちに、そのような状態は薄らいでいきます。以前恐れていたことに再び恐れを感じ、愛していた物は、前と同じように愛しく感じます。何でも元の状態に戻り、以前よりひどくなることもあります。
ターン・プッタタート 技法によって悟るより



昔、まだ坐禅したことも瞑想したことなく、ヴィパッサナーという言葉さえ聞いたこともなかった頃、一度だけこれが起きた
当時人生の問題で非常に煩悶していて、それが限界に達した時、突然「自分は死ぬ定めだ」と自覚した。「人は死ぬ。自分もやがて死ぬ。誰でも知ってる常識だ」といったこととはまるっきり違う強烈な体験だった。
それから1年くらいは何を食べて生きてたのか記憶がない。周りの全てが違う感じだったが、不思議なほど不安はなかった。「体と心がすごく幸福で、いろいろな悩みは心から消え去り、以前愛していたものを思い浮かべても愛しくなく、憎んでいたものを思い浮かべても憎くなく、恐れていたもの、ぞっとしたもの、いろいろ気掛かりで心配だったことを思い出しても、そのような感情が生じてこない」←まさにこのとおりの日々。
自分は、すべての煩悩から解脱したと勘違いをしてしまいます。」←恥ずかしながら、思いっ切りしてました。
そういう不思議な非日常状態が1年くらい続いた後は急速に日常が戻ってきた。戻るのが嫌だったんでずいぶんと抵抗もしたが、不可逆的な力って感じでどうにもならなかった。「幾らもたたないうちに、そのような状態は薄らいでいきます。以前恐れていたことに再び恐れを感じ、愛していた物は、前と同じように愛しく感じます。」←これもだいたいこのとおり。

良い点は、人々が重要視するが実はくだらない多くのことから、それ以来だいぶ自由になれたこと。悪い点は、へんに気持ちが緩んでしまい、何をやっても真剣に悩めず必死さがなくなったこと。「以前よりひどくなることもあります」というのはこのあたりか…致命傷を負ったのかも。