哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

道具主義

※「道具主義
「真理とは、人間の利益になる思いつきのことだ」という立場のこと。

 道具主義のアイデアは、プラスのかたちにもマイナスのかたちにも現れてきた。
至高のかたちは、数千年前釈尊の「筏の喩え」としてすでに現れている。いまだにこれを超える現われはない。
マイナスの方向の現れは様々だが概してフランクフルト学派が批判した「道具的理性」になり自己欺瞞に退廃する。
たとえば以前060809の記事で
「自分が何故そう考えるのか、何故そう望むのか、何故そう感じるのかと、自分の心の分析をしすぎないほうが良い。
あまりこれをやりすぎると、いつの間にか、すぐに分析できる考えや望みや感じしか、心に浮かばなくなる。
世間で頭脳明晰、論旨明瞭と評判の人の中に、この病に罹って膏肓に入るのを見ることがある。」
と書いた。
抑圧することで安直に自分の感情や衝動を支配したつもりになる本末転倒した退廃理性(道具的理性)の姿だ。


「道具的理性」については
 『理性は、本来的には人間が目指すものについて、問いかけたり批判したり確認したりする精神のはず。しかし、「道具的理性」は、いわば自然を支配しようとするときの手段でしかない。人類は、理性によって「外なる自然」の支配はできたが、同時に「内なる自然」、つまり人間の感情とか衝動とか、そういうものまで支配するようになってしまった。
 そして、その支配する力がどんどん強くなると、支配することそのものが目的となった社会が築かれ、人間を画一的に管理してしまう。そのとき、「内なる自然」と離れてしまった自我は、自分の生きることの意味や目的を見失ってしまって、ただそこに存在するだけのものに変わってしまう。
 自然を支配することで主体性を確立し、文明化が進んだように見えて、実はそのことで、人間は非人間化され、文明は野蛮化した。ナチスの野蛮な行いは、この主張の現実となったものであると。』
(「は ま ぐ り の 数 学」 http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/ningenka.shtmlから引用させていただきました)

[100709追記]
ではプラスマイナスの分れ目はなにか。理性が退廃する原因はなにか。
原因はただ一つ、「生きんとする盲目的意志」を自分自身だと錯覚することだ。
すると、理性は欲望の下僕になり、最低の行為をも理論的に正当化する道具になり下る。
道具主義がマイナスに現れるのは、心に自分がコントロールされるときだ。反対に、自分が心をコントロールするときは、同じ道具主義がプラスに現れる。
自分の心を自分自身だとおもうことは、あらゆる災いの元凶だ。


[100713.14追記]
 この赤字の主張は、大多数の人々の本能的願望を根底から否定するので、かって一度もまともに理解されたことはない。昔は忌まわしいく曲解され、今は単純に無視されている。(世の平和のためには、曲解より無視のほうがましだ。無視はその個人だけの悲惨で済むが、曲解は社会全体を悲惨に巻きこむから)

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