哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

辻潤の文章


アナキズム図書室→http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/library.html
(低人さんのブログ「あほりずむ」大杉栄のことhttp://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/23706444.htmlから)
辻潤の文章を読みました。



 自分はこの世に生まれて来たことを別段ありがたいことだと思ってはいないが、ブッダ老荘ショーペンハウエルなどという偉人の教説を知ることの出来たことを、せめてもの一大慰安だと考えている。僕はかれ等の弟子のひとりとして、自分流儀にかれ等の教えをフエンしているに過ぎない。僕に厭き足りない人達は直ちにかれ等の許に走るがいい。自分はむしろそれを乞い願っている。

(辻 潤「のつどる・ぬうどる」)


神様と云うような動物がどこかに存在していて、このような世の中をこしらえたとすれば、まヅそんなケシクリからん動物から退治する必要がありますね。緊急動議。

(にひる・にる・あどみらり1)


よく言った!

辻潤を餓死させ、大杉栄を絞殺し、幸徳秋水を処刑し、三木清を獄死させるような社会は滅びないわけがない。
彼らはいずれも、幼稚な社会にとって、なくてはならない父親のような存在だ。






人間は物に飽きる動物…
(「のつどる・ぬうどる」)

社会制度、政治制度、道徳、思想が時代によってめまぐるしく入れ替わる事実を説明して進歩、発展などというが、真っ赤な嘘である。
「より役立つから」などというのも、事後の意味付けに過ぎない。

ただ飽きたから替わるだけのことだ。

ほんとにそれだけだと、おれは思う。



「自分」と名付けている「存在」も考えようでは実は複雑きわまる「代物」で決して簡単な「個」ではない。掘り出せばなにが出てくるか知れたものではない。
(「のつどる・ぬうどる」)