哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

聖書の言葉#3

今日も聖書の言葉を少しだけ

心を尽くして知恵に近づき、
力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。
足跡を追って、知恵を探せ。
そうすれば、知恵が見つかるだろう。
しっかりつかんだら、それを手放すな。
ついには、知恵に憩いを見いだし、
知恵は、お前にとって、喜びに変わるだろう。

(シラ書6・26~28 新共同訳)


 文脈はまるで違うのだが、なんとなく禅の
十牛図

を連想したので。


十牛図(たとえばhttp://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_46.htm参照)

さんざん苦労して悟ったら、元の状態に戻っていたという話で、
「なんだ、それ。やらなくてよい苦労をして、馬鹿じゃん」
と、おもったものだ。









今の時代を何にたとえたらよいか。

広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
『笛を吹いたのに、
踊ってくれなかった。
葬式の歌をうたったのに、
悲しんでくれなかった。』

(マタイによる福音書11・16,17 新共同訳)

あなたがたは、何を見に荒れ野に行ったのか。風にそよぐ葦か。
では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。

(同11・7,8より)


自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。ヤコブの手紙1・22より)と同じ教えだが、イエスの言葉のほうは、優しい揶揄が含まれていて、余裕を感じさせる。

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(過去記事統合編集再録)