哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

現在法を学びなさい

 私たちがこうしている間も、時は待ってくれません。時は刻々と流れて月日は去り、確実に死が近づいています。「自分は何をしているのか。自分と他人の役に立つことをしただろうか。現在のためになること、未来のためになること、もっとも有益なことをしただろうか」とよく考えてみてください。

 私たちは生まれてから現在まで、幸福を求めて転げ回ってきましたが、ほんとうの幸福、あるいは真実満足できる幸福にめぐりあった人がいるでしょうか。

 現代人の生活は時間との競争で、いつでも急いでいます。寝るときでさえ急いでいる。あれを考え、これを考え、あらゆる方面のことを考えて、幸福の追求にいそがしい。しかし私たちの生活や社会は、日に日に複雑さを増し、困難になっていくように見えます。

 人は多くの知識をかき集めています。科学、数学、歴史、社会学、地理、人文学、医学、法学、政治学等々。これらの学問は時代や環境によって年々変化しています。ほとんどの人はその変化についていけません。力尽きたり、失望したり、大変です。

 これらの学問は、私たちが本当の幸福を手にする助けにはなりません。人間が見落としている一つの学問は、仏法学です。私たちの大先生であるブッダは、二五八三年(1995年当時)も前に悟りを開かれたのに、ほとんどの人は古くて時代遅れと考え、軽視して見すごしています。

しかしブッダの教えは、時代によって変わることのない真実であり、真理です。行いを正しくし、近づいて学び知る人は、目覚め、心が明るくなって幸福になります。そして「涅槃は幸福のきわみ」とブッダが言われた、最高の幸福に到達するでしょう。
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 目で見、耳で聞くことは、欲張り、怒りっぽい、ひがみや、悔やみや、怠け者、嫉妬、疑い深さ、こわがり、恥ずかしがりや、夢想家、心配症、錯乱しやすいなど、ただ古いものを引き出すための刺激でしかありません。

 これまでにどんな習性、煩悩、随眠をあつめてきたかで、それぞれ異なった症状が結果として現れます。過去が原因であり、美しい姿やみにくい姿、きれいな声や耳障りな声などの刺激が縁です。

 ブッダ現在法を学びなさいと教えています。人は過ぎ去ったことを考えて懐かしむべきではなく、まだ来ないことを心配するべきではありません。現在と過去と未来を知るために瞑想するとき、いろいろな感情や想蘊(そううん。認識)を解き放ち、過去や未来のことを考えず、意識を現在に固定させ、現在の感情だけを考えるように、とブッダは言われました。
(アーチャン光男 カヴェサコ「非は我にあり」より)

現在法を学ぶとはヴィパッサナー瞑想のことだとおもいます。