哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

どうしたら自分を信じることができるか

病なんの処にか在る。病は不自信の処に在り。
臨済禅師)
[試訳]修行が進まないのは、お前が自分を信じないからだ。
釈尊の「自灯明(他を頼らず自らを頼って生きよ)」の重要さを説いているのだ。
これは仏道修行に限らない。
自分を信じない者は、人生におけるどんな勝負にも勝てない。
自分を信じない者の人生は必ず失敗に終わる。

ではどうしたら自分を信じることができるか。

たいていの人は、他人に知られたら恥ずかしいことを隠れて思ったりしたりしている。そのダメな陰の自分を自分だけはごまかしようもなくよく知っている。それゆえ自分を信じることができない。

その自分のダメな部分も含めて、丸ごとの自分を心底信じきるのが神速の一手だが、いざ実践(自分の隠していた部分を全て公に曝け出す)となると、それはなかなか難しいと感じる人がほとんどだろう。

では残された道は一つしかない。
普段から、他人に知られたくない思いや行いを、できるだけ減らすように日々地道に努力して生活する。
そうすれば、次第に自分を信頼できるようになり、いざという時にもわりと落ち着いて対処できるようになる。すなわち成功者の人生にじりじりと近づく道だ。仏教では、こっちが正攻法だとおもう。



臨済禅師の「自信」、釈尊の「自灯明」。この教えは、人生において一瞬でも忘れたら確実に損するとおもう。

[111121追記]
上で書いた「他人に知られたくない思いや行いを、できるだけ減らす」は、その思いや行いに混和している不純物(自ら省みて恥を感じる原因)を分離して、その分を減らすという意味だ。

大部分の道徳的たろうとする人々は、他人に知られたくない自分の思いや行い全体を粗雑に圧殺しようとするが、それは出来るものではない。その結果は、信じられない自分を自他に隠す偽君子に成り下がり、一生の辛苦がむだ骨折りになる。







↓以前こんな記事も書いてました↓



[だれでも、その生まれつきの気質をすっかり変えてしまうことなど、出来るものではない。
むしろその特質をそのまま純化することの方が、はるかに容易である。

ヒルティ幸福論第二部「人間知について」 草間平作・大和邦太郎訳)

そのためには、まずありのままの自分を深く信じなければならない。]

丸ごとの自分を心底信じきるという「神速の一手」を使えるのは、自分の生まれつきの気質を変えようとせず、むしろその特質をそのまま純化できる人に限る。
これをはっきり言うと、もともと下意識で自分を信じている人だけが、「神速の一手」を使って覚醒した自信に帰着できるということだ。

大抵の人が実行困難にちがいないこの方法を、ヒルティはきわめて容易だと教えている。論理の混乱ではない。これが易往而無人(行き易くして人無し)の消息だ。



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