哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人の愚行は増悪(ぞうあく)してくりかえされている

岡林信康
「がいこつの唄」 (Live)

 

 若い頃にこの歌、この歌手を知ることができて良かったよ。
今聴いても完璧だ。正しい、深い、面白い。
おれはこの歌に強い影響を受けた。
「がいこつの唄」を聴かなかったらおれの人生は変わってたとおもう。

 

喧嘩しないでくらそじゃないか すえはたがいにこのすがた   

(一休禅師)

 

 

 

 

このブログで当初からエンドレスに繰り返してるモチーフ

「人は死ぬと気づけば自由になり、争いはなくなる」

は、おれなりのがいこつの唄だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう1曲。
これも見事。
アメリカちゃん」 (Live)

 おれはこの歌でアメリカを基本理解した。
自分の勝手極まる基準の押し売り。

聖書までアメリカ仕様にした。
怒り漬けの体質は今もまったく変わってない。

 

 

 

 当時、岡林信康は強烈な人気があったが、あくまでマイナーだった。テレビにほとんど出なかったから、知らない人はまったく知らないままだった。

やがて、陽水が「傘がない」を歌いユーミンが恋愛を歌うようになると、たちまち岡林信康は敬して遠ざけられ忘れられていった。おれは一時期陽水やユーミンを恨みました。

でもおかど違いでした。時代の大きな流れには誰も抗しがたい。バブルと浮かれボケの日本で岡林自身のスタンスも変わらざるを得なかったんだから。その後岡林は美空ひばりなどと組んで復活したが、おれにはぴんとこなかった。

 現在の日本社会は、とっくに終わったバブルの夢に未練がましくしがみついてるもう一段悪化した欲ボケ状態。本質をズバリとつく岡林は需要がなくほとんど沈黙、今流行ってる歌やTVドラマはその欲ボケの深刻さをあらわしていて、おれは今や陽水やユーミンの時代が懐かしくなるほどだ。

 

 

 

 

 

 久しぶりに岡林の「がいこつの唄」「アメリカちゃん」及び「くそくらえ節」を聴いて、笑いながらゾクッときた。

これから起こる未来の影を、過去として歌ってる。

愚行は増悪してくりかえされる。夜明けは遠のく。

 

 

 

 





(過去記事増補編集再録)