哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

両歯の鋸で四肢を切断されても

釈尊が弟子に教えを説いて言う)
汝等(なんだち)よ、盗賊が汝を捕らえ、両歯の(のこぎり)四肢(てあし)を切断するとも、いかり、うらみ、にくんではならぬ。慈心(じしん)(もっ)て、相手を見よ。広大無辺の慈悲を以て、全世界を(おお)え、」
(現代語仏教聖典 釈尊編 9章5節「不動の心」より)


これはものすごい無茶な教えだ。
いったい誰が守れるだろう。

しかし、釈尊は続けて言うのだ。


「汝等よ、余の語に大なり小なりの過誤があると思うか。」

「否、世尊。」


「然らば汝等は、余の譬喩の教訓を、繰り返して反省せよ。それは汝等に永遠の幸福と、利益とをもたらすであろう。」
(同)