哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人生には「今」しかない。ところで「今」って?
















 みんな「今」くらい知ってるつもりだが、じつは「今」について何もわかっていない。

「今」を体得したいなら、
溺れる者が必死で酸素を求めるように
ヴィパッサナーしなければならない。



ヴィパッサナーせず、今このままの日常でいいとおもう人は
迷いの河を渡らず、渡ったつもりになってブッダの筏を捨てる愚者だ。

当然だが、その人はいつまでたっても河を渡れない。



 本人に河を渡る覚悟がなければ、ブッダから与えられた筏は邪魔になり、
渡らずに捨てても面目が立つ理由を、なんかかんか探すようになる。

懸命に屁理屈こねて「世法即仏法」とか「このままでいい」とか『証明』する人。


こういう人達は、ブッダの教えが

なぜ出世間法なのか
なぜ無我なのか
なぜ無常なのか

が全部根本的に分からないので、
人類の至宝であるブッダの筏が、
かえって精神的負担になる。
大我・如来蔵・仏性・本覚思想・世間法即如来法…
これ皆、苦労して彼岸に渡る意味がよく分からない人達が、
此岸に気分よく居続けるために作った、筏を捨てるための戯論だ。

気分よく居続けることなんてできないんですよ、

病気になるし死にますから。

でもそれも、魂は死なないなんてアホな妄想で自分を騙す。


人はがんらい、河を渡る(=修行する)気迫に欠けているから、
この弊に気づいてもなかなか改めることができない。







このままでいいわけない。




※:サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づいていること。
※:ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。









[おまけ]

Die Hard


(過去記事統合増補編集再録)