救いがありそうな事実に救いはない。救いのなさそうな事実にこそ救いがある。
『我々は生まれると競技場に入り、死ぬとそこを去る。その競技用の車をいっそううまく操るすべを学んだとて何になろう』 byルソー
大多数の人々は、こういうにべもない真実だけは、聞きたがらない。
聞いても理解しないで、ただちに忘れようとするだろう。受け入れることができないと感じて、反射的に聞かなかったことにして黙殺するのだ。
しかし、こういう、
一見救いのない事実だけが、真の救いへの唯一の入口を持っている。
本気で人生を考える気があるなら、このむきだしの真実から考え始めるのが結局一番近道だ。
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