仏弟子ソーナの努力はすさまじかった。
林中にあって、寝る間も惜しんで瞑想に励み、
(この経行とは、今日いうところの「歩くヴィパッサナー実践」のことだと思う。遊歩場はソーナの足の出血で屠畜場のように血にまみれたというのだから、朝から晩まで四六時中歩くヴィパッサナーを続けていたかもしれない)
釈尊はソーナの意中を確かめてから、「琴糸のたとえ」を説いて、ソーナの度を越した修行を諌められた。
琴の糸は張りすぎず、緩みすぎず、緩急よろしきを得ているときに、たえなる響きを発する。
修行の努力も、昂ぶることなく、だらけることなく、中庸の努力を続け、道を修むべきである。
(現代語仏教聖典 釈尊編 9章2節「琴糸のたとえ」の要旨)
おれは、ソーナの一途な努力を見習いたい。「琴糸のたとえ」で諌められるほどになりたい。
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