哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

真っ先に必要なのはソーナの一途な努力だ


 仏弟子ソーナの努力はすさまじかった。
林中にあって、寝る間も惜しんで瞑想に励み、経行(きんひん)によって足の肉が破れ、ソーナの遊歩場は血にまみれ屠畜場のようになった。

(この経行とは、今日いうところの「歩くヴィパッサナー実践」のことだと思う。遊歩場はソーナの足の出血で屠畜場のように血にまみれたというのだから、朝から晩まで四六時中歩くヴィパッサナーを続けていたかもしれない)


 釈尊はソーナの意中を確かめてから、「琴糸のたとえ」を説いて、ソーナの度を越した修行を諌められた。

 琴の糸は張りすぎず、緩みすぎず、緩急よろしきを得ているときに、たえなる響きを発する。
修行の努力も、昂ぶることなく、だらけることなく、中庸の努力を続け、道を修むべきである。

(現代語仏教聖典 釈尊編 9章2節「琴糸のたとえ」の要旨)








 おれは、ソーナの一途な努力を見習いたい。「琴糸のたとえ」で諌められるほどになりたい。

※関連記事
サティが5分と続かない件
https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9jeXFuaDk1Ny81NzkzNTk4OS5odG1s

https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ←[にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ]

(過去記事増補編集再録)