哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

みんな平気な顔で生きてるけど、それはなぜか。

(過去の録音メモの文字起こしです)

 昔なじみの遊び友達A君が死んで、一年経つ。
人間なんてはかないもんだ。

 どだい意味が分からんもんなあ。
A君だってそのうちひょっと出てきて「やあ」って感じになる気がしてるけど、実際には絶対出てこないからねえ、死んどるから。
それが今だにピンとこないんだよ、どうしても。
まあ、分からんなりに、みんながそう言うとるから納得しとるだけであって、なんか全然ピンとこないよね。「なんやそれ」って感じや。

だから自分でもそうなんだ。いつまででも生きるつもりでおるんや。

あほだ。みんなあほだ。
墓石に話しかけとる。Aは天国にいったと。
幼稚園の子供でも騙されないような話でさあ。
今まで賢かったはずの人間が、突然そんなこと言いだすんだから。

結局、なんにもわけわかんないから、
(そういうことにしとこうや)って話や。

(死んだらどうなる?ああ、天国に引っ越すだけや。引越しや)って。

あほや。ほんとに、人間なんてあほや。


「最後にお別れを。新たな旅立ちです。皆さん見送ってください」だと。第二の人生ですみたいに言うとるもんな。

「死んだら天国でみんなと会えるんだ」あっほなこと言うとれ。
いつまで生きとるつもりなんや。頭おかしいんかゆう。

でもみんなそう言うとるもんな。
「私も後から行きますから、待っててください」とか、わっけ分からんことを…。

だから、科学の時代とかいうとっても、そういうものの考え方、原始人と一緒なんだ、何千年前の原始人と全く一緒の感覚。

そうやってやらんと生きてけんだ、寂しくて。
わけわからんもんで、怖いんだて。


つまり、みんな安定して平気な顔しとるけど、それは死なへんと思とるからや。死んでからまたあの世へ引っ越すだけやと思とるからや。
バカなはなし。


飼ってる猫ぐらいまでは感情移入しとるもんで、猫も死んだんじゃない、あの世でまだ生きとるんだ、行っただけだ、死んだらまた会えるんだとか言って。
「じゃあ、そのへんのゴキブリとかわい」って言ったら「ゴキブリはしらんわさ。そんなことまでしらんがや」
矛盾だろそれ。どっから線ひいとるんだ。
猫はオッケーでネズミとかはダメ、だけどミッキーマウスはオッケー。
ばかばかしい。


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