もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。
(同329)
しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。
(同330)
愚かな者を道伴れとするな。
独りで行くほうがよい。
悪いことをするな。
求めるところは少なくあれ。
──林の中にいる象のように。
(以上、引用終)
おれが、愚かな者だ。
しかし、だから
そんな生き方が楽しいとも、うらやましいとも思わない。
むしろ、目をそむけたくなる。
おれは、つらくても、さみしくても、独りで行くほうがよいと思う。
(ダンマパダ328は、理想的で幸福な人生だが、残念ながら実現しそうにない)
おれの場合は、
「小人は同じて和せず」だが、その中にあって「和して同せず」の生き方をする覚悟だ。
これは尊い君子の道で、愚か者のおれにはどだい無理な話だが、それでもやるしかないところまで追い込まれた。
人生が無常であり苦であるという事実に多少でも気づくと、世間は事実の反対を向いてるから、どんなに嫌でも心細くても世間から独り立ちするしかなくなる。
それが良くても悪くても無理でも、この生き方よりできないんだから、選択の余地はない。
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