戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。
自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、──このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。
(引用終)
釈尊は事実に反したオーバーな表現は決してしない。
この百万人と唯だ一つの自己のたとえは、いわゆる白髪三千丈の類とは全く違うことに気づくべきだ。
一個人が自己にうち克ち、つねに行ないをつつしみ、自己をととのえることが、人類一般の想像をはるかに超える際立って優れた価値を有していることを、釈尊は鮮烈に説いている。
そして次の、百年と一瞬間の対比も。
(同106,107)より引用。
百年のあいだ、月々千回ずつ
百年のあいだ、林の中で祭祀の火につかえる人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。
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(過去記事増補編集再録)