哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人間は、自分を救う手立てのない獣ではない

(口伝鈔 善悪二業の事より引用)

…機にうまれつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず、失ともならざる(じょう)勿論(もちろん)なり。
(引用終)


どんな悪人でも救われる、ということ。

そもそも凡夫の考える善悪など、救いの条件ですらない。まるで関係ないのだ。

他力浄土系の文脈では、救いのイニシアチブを握っているのは弥陀如来である。


「それなら、好き勝手に人を殺してもいいのか」と、トンチンカンなことを訊く人がいる。


その答えがこれ。


「…なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」歎異抄13より)


 凡夫の行為はすべて無意識のうちに「生きんとする盲目意志」が決定し、決定後それに善悪正邪の理屈を、腐敗した奴隷理性が後付けしているに過ぎない。

このおぞましい自分を放ったらかすなら、その罪過は各人が負わねばならない。
人間は、自分を救う手立てのない獣ではないからだ。

八万四千のメソッドはそのためにある。


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(過去記事増補編集再録)