哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

戒を守ろうとする気持ちが自分を守る

ブッダのことばスッタニパータ394~399中村 元訳)より引用。
生きものを(みずから)害してはならぬ。
また(他人をして)殺さしめてはならぬ。
また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。
世の中の強剛な、また怯えているすべての生きものに対する暴力を蔵めて──。

次に教えを聞く人は、与えられていないものは、何ものであっても、またどこにあっても、知ってこれを取ることを控えよ。
また(他人をして)取らせることなく、(他人が)取るのを認めるな。
すべて与えられていないものを取ってはならぬ。

智者は婬行を回避せよ。
赤熱した炭火の坑を回避するように。
もし不婬を修することができなければ、(少なくとも)他人の妻を犯してはならぬ。

集会所にいても、団体のうちにいても、何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚妄を語ることを避けよ。

また飲酒を行ってはならぬ。
この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。
他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。─
これは終に人を狂酔せしめるものであると知って──。

けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、また他の人々をして怠惰ならしめ(悪事を)なさせる。
この不幸の起るもとを回避せよ。
それはひとを狂酔せしめ迷わせるものであるが、しかし愚人の愛好するところである。
(文中強調は私です。引用終)







 いわゆる在家の五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)。

守りたいけど、守らなきゃいけないとおもってるけど、守れない。

自分だけでなく他人にも守らせろ、というのは、もっと無理(せめて強盗殺人は容認したくないが、これも国家レベルでやってる世の中では手の施しようもない)。

だからといって、「全部やーめた!」とは、おれはおもわない。

今の自分にやれる範囲で、少しだけでもやればいい。

…棺桶に片足突っ込んでる歳で、まだこの程度のぬるいことしかできてないのは情けないとおもう。
しかしそれでも、やらないよりはずっといい。自分のためにやる。それしかないんだ。


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(過去記事編集再録)