魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、
(引用終)
社会が成熟してくると、一時的退廃を経て、最終的に祭祀や苦行に深い意味を感じるように、人間はプログラムされているとおもう。
釈尊は、それは人が陥る落とし穴だと教えている。
釈尊は、アートマン(我)を立てることは愚か者のごまかしだと明言している。
しかし人類は現在に至るまでアートマン(我)の酷い欠陥をいかに見せつけられても、これを捨てようと真剣におもったことがない。
アートマン(我)は、この上なく強固な錯覚だ。アートマンは、人が世界を解釈し適応し生きるために必要なインフラとして自動作成されるように人のDNAにプログラム化されている、とおれはおもう。 人はまずこのプログラムに執着讃嘆する天文学的な長い時期を経てのちにようやく飽きて、では釈尊の教えも聞いてみようという気分になるとおもう(人類絶滅が先になる可能性が高いが)。
それまでは、アートマンを、不死の魂、真我、大我、仏性と様々に呼び変えては隠し持ち、決して捨てようとしない。
そして唯一絶対宇宙創造人格神がアートマンの最終形だ。
したがって、アートマンを(どんな名前で呼ぼうと)保持する社会は、成熟するたびに何度でもこの神を見いだし、祭祀と苦行という暗い穴倉に入る。
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(過去記事増補編集再録)