哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

訳し方で、同じ文の印象がずいぶん変わる

 今もたまに聖書を見る。

思うべきことをこえて思いあがらぬように。
神が分かたれた信仰の量に従って節度ある思いをするように。

(ローマ書12・3より 世界の名著「聖書」前田護郎訳)

※前田護郎訳聖書を、便利な脚注付きの電子ブック版で読むことができます。
http://members2.jcom.home.ne.jp/kitazawa817/newbible/top_page.htm

このことばを読むと、あるインスピレーションを感じる。
本にマーカーで赤い印が付けてある。
おれは、最初読んだときに感銘を受けると、その箇所に印を付ける癖がある。
ところが、同じ箇所をふだん読んでいる日本聖書協会の新共同訳聖書で調べてみると、


自分を過大に評価してはなりません。
むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。

(ローマの信徒への手紙 新共同訳)
と、なっている。
こちらには、印が付いていない。
少なくとも一度は読んでいるはずだから、特になにも感じなかったということだ。

どちらの訳が良いとかいう話ではない。
同じ文章が、訳し方ひとつでずいぶん受ける印象が変ってしまうものだと思ったのだ。

原文で読める人を羨望してしまう。


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(過去記事編集再録)