(修証義 第一章総序より引用します)
因果の道理歴然として
悪を造りながら悪に
世間では、悪と知らずにした過ちは、悪と知りながらした悪よりは、罪を軽減されるというずうずうしい考えがある。法律にも、このずうずうしい考えを助長する愚かな一面がある。
これは全く間違いだ。
悪は知らずに行うと、知って行うより重い報いがある。
無知により、悪を悪じゃないと思い込んでいたり、 これは悪だが報いなどないと自分勝手に強く信じても、悪の報いを軽減することは一切できない。無知は人を助けず破滅させる。無知は懺悔を妨げるからだ。
(修証義 総序冒頭の言葉を引用します)
生を明らめ 死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり
…この勇ましい宣言を初めて見た時びっくりした。すごい覚悟だなあ、と。
※※次の記事に、YouTube 「修証義 第一章総序」を貼っておきます※※
続けて(修証義 第二章より)
仏祖の
成った聖者と、成る聖者。
(修証義 第三章より)
仏は是れ大師なるが故に帰依す、
法は良薬なるが故に帰依す、
僧は勝友なるが故に帰依す
(修証義 第四章より)
若し菩提心を
愚人
愛語
※【愛語】
《梵priya-vditの訳》菩薩が他者に対して心のこもった優しい言葉をかけること。人々を救いに導く実践行である四摂事(ししょうじ)の一。 (大辞泉)
(修証義 第五章より)
光陰は矢よりも
我等が行持に依りて諸仏の行持
※修証義
曹洞宗の信仰指導書の一。1890年(明治23年)成立。道元の「正法眼蔵(しようぼうげんぞう)」より文章を選び、五章三一節に整理したもの。(大辞林)
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(過去記事増補統合編集再録)