哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

仏恩の深きをおもい、人倫のあざけりを恥じず

親鸞 教行信証から引用します)
ただ仏恩の深きことを(おも)ふて、人倫(じんりん)(あざけ)りを恥じず。




道元 学道用心集から引用します)
もし人賞翫(しょうがん)すれば、たとひ非道と知るも(すなは)ちこれを修行す、もし恭敬讃嘆(くぎょうさんたん)せざれば、これ正道と知るといえどもすてて修せず。痛ましきかな、
汝等試(なんじらこころ)みに心を静かにして観察せよ。
この心行、仏法とせんや、仏法にあらずとせんや。

恥ずべし恥ずべし、聖眼(しょうげん)の照らすところなり。




ブッダの真理のことば316から引用します)
恥じなくてよいことを恥じ、恥ずべきことを恥じない人々は、(よこしま)な見解をいだいて、悪いところ(=地獄)におもむく。

(中村 元訳)
[以上]






 人は、周りの人々の顔色しだいで、恥ずべきことを恥じず、恥ずべきでないことを恥じる。
これは人間の根深い性癖で、いくら頭で反省しても絶対直るようなことではない。それを証するように、誰もが悪だと言う戦争もイジメもまったくなくならないではないか。自分は死んでも死なないという嘘の前提で生きているからだ。
脳には真理か嘘かは関係ない。生きられるか(生きられ)ないかだけ。…
怒り嫉妬憎しみ…自分が生きられるかないかというバイアスで判断する。
ブッダは脳を信頼していなかった。脳はまるっきり信頼できない。
スマナサーラ長老)

世間は顛倒(てんどう)している
ブッダは説かれた。
仏弟子はヴィパッサナーに励み、ただ仏恩の深きことを(おも)ふて、人倫(じんりん)(あざけ)りを恥じずのガッツを持たねばならない。


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(過去記事増補編集再録)