哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「俺は、俺の」障壁

ターン・プッタタートアーナーパーナサティの完全技法と自然法より)
 …智慧とは、何も「自分」「自分のもの」と強く捉えない、もっと強い言い方をすれば「俺は」「俺の」と執着しないということです。

 これはパーリ語で繰り返し語られた仏教の核心である項目です。何ものも、自分、自分のものと執着しない。ブッダは、この短い言葉は、八万四千項目あると言われる教えのすべてを包含している仏教の核心だと繰り返しています。八万四千項目すべてはこの短い「何ものにも、私、私のもの、と執着しない」という一語に集約されてしまうのです。

 教えのすべてを一つにまとめたらどのようになりますかと、質問する人があったとき、ブッダはそう答え、更にこれを聞いただけですべての項目を聞いたのと同じ、この項目を実践するならすべての項目を実践したのと同じ、この項目の結果はすべての項目の結果と同じと付け加えました。


ターン・プッタタートそうすればハナから死んでいるより)
どんなことも愚かさほど熱くはありませんが、人は知りません。…
昔式の医学で「内熱」と言います。普通の人は熱く感じません。触っても熱くありませんが、その方面の知識があれば非常に熱いということが分かります。内部が熱くて、体は熱くないのに死にます。…痴、無明は内部の深いところで熱くなっています。それは欲情の燃料であり、いつまでも怒りを作り出します。…濡れて冷たい火に注意してください。炎を上げて燃える火よりも熱いです。「俺、俺のもの」は深奥部にある濡れた火、内熱です。
[以上引用終]



 「俺は、俺の」のせいで、人間はどれほど悲惨なめにあってるか。
「俺は、俺の」のせいで、みな避けようもなく非業の死をとげている。
他のなにより、この「俺は、俺の」障壁を崩壊させないと一歩も前に進めない。

壁の壊し方はブッダに訊いてくれ。



(過去記事増補再録)