哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

聞いても聞けず、見ても見えず、考えても考えられないこと

 自然状態の人間には、いくら聞いても聞けず、いくら見ても見えず、いくら考えても考えられない事実がある。
それが自分意識=幻想という事実だ。


最近の記事「自己は自分のよるべである。ゆえに自己をととのえよ」
人間は物事を自分で判断していると信じているが、それは幻想だ。
判断は五感の刺激と無意識反応でほとんど自動的に決定され、意識はその事後承諾と自己弁護しかしていない。

と書いた。



これについて、スマナサーラ長老が一人の女性の質問に答えたすばらしい法話がある。
法話:120430-03 無意識にジャッジしてしまう.mp3
を、試しに一度聞いてみてください。

 長老はこれ以上分かりやすく言えないほど端的明瞭に、自分意識=幻想の事実を語り尽くしている。
それでも大部分の人たちの脳には肝心のことは一言も届かない。
彼らの理性はあらかじめ「生きんとする盲目の意志」に強姦されていて、自律的に機能できなくなっているからだ。自己弁護の言い訳しかしない奴隷理性は、分かってないことでも、ぼんやり分かったふりをして話を有耶無耶にてしまう。

 賭けてもいい、いつか彼らの理性が自律的に働ける日が来たら、これほど明々白々な話が以前の自分はなぜちっとも分からなかったんだろうと、全員心の底からあきれることは確実だ。