一週間ほど前、たまたまコミュニケーションスキルの講習に参加することになった。
人が初対面時、相手を何で判断するか。その割合は、相手の話す内容たった7%。残りの93%は目と耳に入ってくる刺激(相手の表情、服装、声のトーンや口調)に対する動物的な自動反応のようなものだという科学的知見が最初に示された。
多くの人がすでにテレビ等で何度か聞いた話題のはずだが、これが恐ろしい事実だと真に分かる人はめったにいないのではないか。
人間は物事を自分で判断していると信じているが、それは幻想だ。
判断は五感の刺激と無意識反応でほとんど自動的に決定され、意識はその事後承諾と自己弁護しかしていない。
そういう恐るべき話なのだ。
判断は五感の刺激と無意識反応でほとんど自動的に決定され、意識はその事後承諾と自己弁護しかしていない。
いくらコミュニケーションスキルの講習でも「だから、人に会うときは身だしなみをちゃんとして笑顔で愛想よくしましょうね」で解決するようなちっぽけな問題じゃない。
自己をととのえよ←これだけが本当に唯一の答えだ。
サティとヴィパッサナーの努力によって、五感の刺激と自動反応の奴隷に過ぎない自分意識にはっきりと気づき、愚かな自己弁護の幻想から覚め、よくととのえられた自己で自分意識の主人に昇格する道をブッダは説いた。
意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説。下の動画を見てください。
自然レベルの「意識」をたとえると「自分をワンマン社長だと勘違いしてる間抜けな社史編纂室長」と。見事なたとえ!
自然レベルの「意識」をたとえると「自分をワンマン社長だと勘違いしてる間抜けな社史編纂室長」と。見事なたとえ!
意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説
心の天動説は幼稚すぎる。ダッサい。もういいかげん終わりにしよう。
各自がコペルニクス的転回をするべき時だ。
それがほんとうにできたら、新しい世界が開ける。無我まであと一歩!
(…できずにグループボケに落ちるくらいなら、まだ我利我利の利己主義者でいるほうがましだけど)
各自がコペルニクス的転回をするべき時だ。
それがほんとうにできたら、新しい世界が開ける。無我まであと一歩!
(…できずにグループボケに落ちるくらいなら、まだ我利我利の利己主義者でいるほうがましだけど)
学者は滅苦を目的に据えないから、理論が迷走する。 非我だと梵を認めることになり、 自我幻想は保持されたままだ。
(過去記事増補編集再録)