阿難尊者に釈尊が与えた最期の説法は
自灯明、法灯明
であった。
釈尊は「私を信じよ」とは言っていない。
もちろん、世の宗教のワンパターン「神を信じよ」乃至「神の使者を信じよ」とも言っていない。
しかも、「法灯明」より「自灯明」が先だ。
人間は、まず自分を深く信じなければならないのだ。
そして、釈尊は遺言として一代の説法の真髄不放逸を簡潔に説き
「汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね。復た語を得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す。我、滅度せんと欲す。是れ我が最後の教誨する所なり」
(仏遺教経)
と言って、静かに亡くなられた。
感動してるのは、おれだけか?
[関連記事]
ブッダの遺言怠るなの意味→http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2N5cW5oOTU3LzU2MzUyNTA2Lmh0bWw-
※釈迦涅槃図(岐阜・少林寺蔵)は「WEB版 絵解き涅槃図」http://www.rinnou.net/nehanzu/index.htmlより。
https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ← にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
(過去記事編集再録)