ブッダヴァチャナによるブッダの伝記3-1「根を脅す人になる」マーガンディヤスッタ 中部マッジマパンナーサ 13巻272頁279項
マーガンディヤさん。目は喜ぶものである形があり、喜ばせる形を欲しがります。その目を、如来は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができます。そして如来は当然目を慎むダンマを説きます。
マーガンディヤさん。耳は喜ぶものである声があり、喜ばせる声を欲しがります。その耳を、如来は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができます。そして如来は当然耳を慎むダンマを説きます。
マーガンディヤさん。鼻は喜ぶものである臭いがあり、舌は喜ぶものである味があり、体は喜ぶものである接触があり、心は喜ぶものである感情があり、喜ばせる感情を欲しがります。その心を、如来は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができ、そして如来は当然鼻、舌、体、心を慎むダンマを説きます。
[引用終]
マーガンディヤさん。耳は喜ぶものである声があり、喜ばせる声を欲しがります。その耳を、如来は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができます。そして如来は当然耳を慎むダンマを説きます。
マーガンディヤさん。鼻は喜ぶものである臭いがあり、舌は喜ぶものである味があり、体は喜ぶものである接触があり、心は喜ぶものである感情があり、喜ばせる感情を欲しがります。その心を、如来は苦しめ、支配し、維持し、慎むことができ、そして如来は当然鼻、舌、体、心を慎むダンマを説きます。
これはなにを言っているか。五感は悪魔の垂らす釣り針だと言っている。世の常識と著しく違うことを説いているのだ。
世間は顛倒している。 正しいことをまちがいと感じ、損を得と感じる。まちがいを正しいと感じ、得を損と感じる。 だから、ブッダの教えの核心は、世の常識と真逆になっている。 そこがわかれば、仏教は理解できるとおもう。