哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

戦略?いや、思考を管理すれば全て解決する。

スマナサーラ長老 パティパダー巻頭法話No.135からの引用
…「社会を怒らせる、非難を受ける、他人に迷惑になる身体の行為を止めた方が良い」と説かれると、常に変わっている時代に適応できる、普遍的な戒めになるのです。いちいち替える必要はありません。また、自分で気をつけて考えて、行動しなくてはならないから、頭が良くなるのです。厳しく躾されたならば、誰でもその決まりを自然に守るようになるのです。これは、連鎖反応的なもので、知識開発に関係がありません。たとえば、犬猫さえも躾されたら、言われた通りにやるのです。それは、自分で考えて悪いことを止めたわけではありません。人間も、決して行儀が悪いと言えませんが、殆どの人々は、自分の判断で理解能力に基づいて正しいふるまいを知っているわけではありません。小さいときからの躾のお陰で、反射的に行っているのです。

 次の問題は、言葉です。人は言いたかっただけで、思っただけで、喋ってはならないのです。瞬時に思うことはほとんど感情的で、いい加減で、我が儘な思考なのです。それを発言すると、大変な結果になります。話すことは自由だ思うのは勘違いです。言論の自由」というのは、ものごとを完全に把握しなかった人々が、ある側面だけ考えて言ったことです。普遍的な真理ではありません。完全たる自由を教える仏教が、「言論の自由」という表現を決して使っていないことに、がっかりしてはならないのです。
[引用終。強調処理はわたしです。]


言論の自由」について。
たまたま数日前の日曜NHK「花燃ゆ」を見た。
井伊大老が開国すべきとした時期に吉田松陰は攘夷を主張して斬首。

その後、攘夷運動で徳川幕府から天下を奪った明治政府は、開国したわけだ。

井伊は間違っていなかったが、あの時期の戦略として攘夷が必要だったという人もいる。

現在「言論の自由」はそういう戦略的意味で必要かもしれない。
疎かにはできないが、まあその程度だとおもう。
戦略という考え方は世界を混乱させるので、おれは嫌いです。
[関連記事] 毒を以て毒を制すで世直しはできない



パティパダー巻頭法話No.135からの引用
 身体の振る舞いが悪い、言葉が乱暴という問題がなぜ生まれるのかというと、思考が汚れていることによるのです。欲、怒り、憎しみ、怨みなどで汚れた思考をすることこそが、『悪の枢軸』なのです。無知で行う妄想が、精神力を徹底的に浪費させるのです。要するに、思考を管理すれば全ては解決するということです。
[引用終。強調処理はわたしです。]

[同日追記]
老婆心ですが、もちろん管理するのは自分でですよ。どんな巧妙な形であれ他者(たとえば神様とか)に管理されたら最悪です。




パティパダー巻頭法話No.135からの引用
◎経典の言葉

Kâyappakopam rakkheyya,
Kâyena samuvuto;
Kâya duccaritam hitvâ,
Kâyena sucaritam care. (Dhammapada 231)
 
 
Vacîpakopam rakkheyya,
Vâcâya samvuto siyâ;
Vacî duccaritam hitvâ,
Vâcâya sucaritam care. (Dhammapada 232)
 
 
Manopakopam rakkheyya,
Manasâ samvuto siyâ;
Mano duccaritam hitvâ,
Manasâ sucaritam care. (Dhammapada 233)
 
 
Kâyena samvutâ dhîrâ,
Atho vâcâya samvutâ;
Manasâ samvutâ dhîrâ,
Te ve supari samvutâ. (Dhammapada 234)
 
身をば怒りに任するな
身の行動をよく守れ
身にて行う悪を捨て
身による善をなせよかし

 (ダンマパダ231)
 
 
言葉いかりに任するな
己の言葉 よく守れ
言葉によれる悪を捨て
良き言葉にて善をなせ

 (ダンマパダ232)
 
 
(こころ)怒りに任するな
己の意よく守れ
意によれる悪を捨て
良き意にて善をなせ

 (ダンマパダ233)
 
 
英賢常に防護して
諸煩悩より身
(み)を守り
言葉を守り意
(い)を守る
完全無欠の制御者
(せいぎょしゃ)
 (ダンマパダ234)(江原通子 訳)
[引用終。強調処理はわたしです。]