哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

不純な動機の善行でも、やらないよりはずっとまし

 直前の記事「悪い結果になる善行が四つある」は2007/3/8の記事の編集再録なんだけど、今は考えが少し変わった。

 経典を読誦す、禁戒を受持せん、布施を行ぜん、繋念思惟せん(仏教を勉強する、立派な修行者をまねる、布施をする、専心瞑想する)。
とにかくこれらの善行をするべきだ。
動機が不純だろうと、かまうことではない。やれるだけ実際にやることが決定的に大事だ。「毒まじりの善」と言いたい奴には言わせておけ。行いの伴わない『高級な信仰』は嫌いだ。
そうおもうようになった。