自業自得果の法と正念相続
明けまして
おめでとうございます。
今年もよろしく
お願いします。
人間は、思うさま良いことも悪いこともなし得る。
しかし 究極の正義は一瞬たりとも空しくなることがない。
いかなる法律や道徳よりも、厳密で正確無比の
『自業自得果の法則』
があるからだ。
『正念相続』は、どうして不可能ではないのか?
もし人生が、泣かないでいられないほど辛いこと悲しいことが、本当に起こるものなら、人生の最重要事項『正念相続』は誰も守れるわけがない。
しかし、この人生は夢、幻のたぐいに他ならない。
そのおかげで、この第一義を達成することが可能になっている。
悟った後の釈尊が、泣いて悲しむ姿を想像できるだろうか?
我々は、悟っていないので、嫌なことが身に降りかかると、泣いたり喚いたりせずにいられない。
正念相続は、毛ひとすじの影だにない。
とはいえ、釈尊の態度こそ、すべての人間の正しい姿だという事実に変わりはない。
泣いたり喚いたりした後でもいい、そのことをチラッと思い出すだけで、人生はだいぶ違ってくる。
実体験がなければ「聞法」レベルに過ぎないから、聞いた教えを気にはなっても、理解しきれない。
それでも、折々に思い出すとクールダウンが可能になる。
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(過去記事統合編集再録)