哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

自業自得果の法と正念相続


明けまして
おめでとうございます。
今年もよろしく
お願いします。




人間は、思うさま良いことも悪いこともなし得る。

しかし 究極の正義は一瞬たりとも空しくなることがない。

いかなる法律や道徳よりも、厳密で正確無比の

『自業自得果の法則』

があるからだ。






『正念相続』は、どうして不可能ではないのか?

もし人生が、泣かないでいられないほど辛いこと悲しいことが、本当に起こるものなら、人生の最重要事項『正念相続』は誰も守れるわけがない。

しかし、この人生は夢、幻のたぐいに他ならない。
そのおかげで、この第一義を達成することが可能になっている。

悟った後の釈尊が、泣いて悲しむ姿を想像できるだろうか?

我々は、悟っていないので、嫌なことが身に降りかかると、泣いたり喚いたりせずにいられない。
正念相続は、毛ひとすじの影だにない。

とはいえ、釈尊の態度こそ、すべての人間の正しい姿だという事実に変わりはない。
泣いたり喚いたりした後でもいい、そのことをチラッと思い出すだけで、人生はだいぶ違ってくる。



 実体験がなければ「聞法」レベルに過ぎないから、聞いた教えを気にはなっても、理解しきれない。
それでも、折々に思い出すとクールダウンが可能になる。


https://philosophy.blogmura.com/buddhism/にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ


(過去記事統合編集再録)