哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

欲ぼけ


 欲望というものは、人間の一生を徒労に終わらせる。

さあいよいよ死ぬというその瞬間(とき)になれば、(認める気さえあれば)誰でもそのことを理解できる。

なぜなら、欲望のプログラムは、いまや死なんとする個体を、役立たずのものと見限って、
「欲望から自由な認識」
を、その瞬間(とき)初めて彼(彼女)に許すからだ。

どんな欲深い人間でも、死ぬ前には、それまで気づけずにいた「存在の意味」に卒然として目覚めるのだ。残念ながら、その直後に何もできず死ぬのだが。

すべての人間は、生まれた時の初期設定がそうなっているので、必ずそのように死ぬしかない、自分で設定値を変えた者以外は。

だから人生の目的は、この「死ぬ直前の気づき」を、ピンピンしているうちになんとかして得ることだ。











生死をしる時は、おのずから道あり。しらざる時は、仁義礼智もなし。

(鈴木正三禅師 盲安杖)

Man lives freely only by his readiness to die.
死ぬ覚悟ができた人間だけが自由に生きる。
マハトマ・ガンジーの言葉)

自分が死ぬと知ることは自由になることだ。
佐野洋子 絵本「百万回生きたねこ」の作者)

死ぬことは知られていない。知れば争いは静まる。
ブッダ ダンマパダ6)

本当に  自分は死を越えられない存在だと気づけば(智慧のレベル)、[争いは静まる]ことは、自分の手のひらを見るように自明になる。

(過去記事統合編集再録)


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