不正直で生き残る悲しさ
いろいろな抽象や種々な仮定は、みんな背に腹は代えられぬ切なさのあまりから割り出した嘘であります。そうして嘘から出た真実であります。…
要するに生活上の利害から割り出した嘘だから、大晦日に女郎のこぼす涙と同じくらいな実は含んでおります。…
わが身が危うければどんな無理なことでもしなければなりません。
そんな無法があるものかと力んで居る人は死ぬばかりであります。
だから現今ぴんぴん生息している人間は皆不正直もの…
(夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」)
理性は、意欲に誘惑され、説得され、結局ほとんど常に屈服する。
理性は、今や屈服した我が身を取り繕い弁護するためだけに働く。
いわゆる因果法というものはただいままでがこうであったということを一目に見せるための索引に過ぎんので、便利ではあるが、未来にこの法を超越した連続が出てこないなどと思うのは愚の極であります。…
(同)
人は、単純な連想を因果とごっちゃにしていると思います。それで、釈尊の悟り
「これありて、これあり。これ生ずればこれ生ず。これ無きにしてこれ無し。これ滅すればこれ滅す」を
「なんだ科学の因果法則じゃないか。知ってるよ」
などと言う。
「あんたの知ってるのは連想だろう」
とツッコミを入れたくなります。
※「文芸の哲学的基礎」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/755_14963.html
(過去記事再録)
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