ショーペンハウアーの幸福論
われわれ人間の最大の楽しみは、人からたたえられるということだ。
けれどもたたえる人は、あらゆる条件が揃っていても、なるべくたたえたくないのが本音だから、
自分で自分を心からたたえる境地に何とでもして辿りついた人が一番幸福なのだ。
ただ他人に横槍を入れられないようにする必要がある。
(ショーペンハウアー「幸福について」第4章 橋本 文夫訳)
自分の心を自分の奴隷のようにあつかえると錯覚してる人が多いんじゃないかと恐れ、老婆心で補足する。
「自分で自分を心からたたえる」なんて簡単にできると思う人は、実際に今やってみるといい。
自分の心が簡単に自分の自由になると思ったら、あてが外れる。
自分に一番きつい横槍を入れてくるのは、他人ではなく、自分の心なのだ。
簡単ではないと分かった上で、それでも幸福になるためには、他人に讃えられようとするよりは、自分で自分を讃えられるようにしたほうが良いというのがショーペンハウアーの主張です。
一方でこんなことも説いています。
他人の目にどう見えるかということで価値のあるなしが決まるような生き方は、惨めな生き方だ
(ショーペンハウアー「幸福について」同 第4章)
他人の言動に絶えず注意を払っているということは、その人がいかに退屈しているかを示すものだ。
(同 第5章)
「人にたたえられる」喜びは平均人の自然な感情だと認めたうえで、他人を当てにせず、自分で自分をたたえる境地こそ一番幸福だと主張しています。他人を当てにしないなら「他人の目にどう見えるか」にさほど注意しなくてもよいわけで、論理の筋は通っていると思います。
他人の目にどう見えるかということで価値のあるなしが決まるような生き方は、惨めな生き方だという主張は極めて高い境地からの発言です。
大多数の人間が、自分の価値を他人の評価で決めている(決めざるを得ない)のは一般的事実です。これを惨めといわれてしまうのは受け入れがたいことです。
しかし、ショーペンハウアーは、すべての人間は当然聖者になるべきだという立場の人ですから、こういう発言を平気でします。
(過去記事統合編集再録)
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