哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

聖徳太子の選択本願

過激な選択思想は法然上人のアイデアだとおもっていたが、聖徳太子という先駆者がいた。

 

仏教から大胆に和合の教えだけ選択している。

 

もちろん仏法の第一義が、人の和であるはずはない。

しかし、まさにその確信犯的なわざとのズラシに、この選択というアイデアの凄さがある。

 

 聖徳太子憲法十七条は、冒頭の「和をもって貴しとなせ」が結論。第一条・以和為貴と第二条・篤敬三宝の二本柱で成り立っていて、三条以下はその敷衍です。


忿[いかり]を絶ち瞋[いかり]を棄てて、人の違[たが]ふを怒らざれ。
人みな心あり、心おのおの執[]ることあり。
是[]とするところすなはち我は非[]とし、我是とするところすなはち彼は非とす。
我かならずしも聖[せい]にあらず、彼かならずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫[ぼんぷ]のみ。
是非の理[]、なんぞよく定むべき。
あひともに賢愚なること、鐶[みみがね]端[はし]なきがごとし。
ここをもつてかの人瞋[いか]るといへども、還[かえ]りてわが失[あやまち]を恐れよ。
我独り得たりといへども、衆[しゅう]に従ひて同じく挙[おこな]へ。

聖徳太子 憲法十七条十)





しかし、同じ人が

「世間虚仮(人間社会に真実はない)」

とも教えている。

(天寿国繍帳)より引用します。

世間は虚仮(こけ)にして、唯だ仏のみ是れ真なり

(引用終わり)

 

 ここで事実を、恐ろしいほど身も蓋もなく大胆に言ってのける聖徳太子は、とうてい温和なだけの人ではない。
「世間虚仮、唯仏是真」という、正視できないほど剥き出しの事実を道破した太子が、人の和ごときを仏法第一義と本気で信じたはずはない。

これを合わせて考えると、憲法十七条は、そんな峻厳な賢者が、人々の理解力に和順して説いた幸福論だと、おれにはおもえる。

 

世間善導の実効を上げるためにどうしたらいいかと太子が甚深思案した結果、この思い切った選択という新機軸が打ち出されたとおもう。

 

「和を以て貴しと為す」は、いわば太子の選択本願だ。





※【憲法十七条】けんぽう‐じゅうしちじょう
推古天皇12年(604)聖徳太子が制定したと伝えられる日本最初の成文法。和の精神、君臣の道徳を説き、官吏・貴族の守るべき道徳的訓戒を十七か条に記したもの。(大辞泉

聖徳太子Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90参照

(過去記事統合増補編集再録)