「変化する」という法則
世の中にあるのは、神の力ではなく、「変化する」という法則です。
(アルボムッレ・スマナサーラ著「ブッダの教え1日1話」6/12より)
「変化する」という法則。無常と因縁の法。
ほとんどの人が、自分は死んでも生きてるとおもってるんだから、無常をほんとうに分かってる人はほとんどいない。
多くの人が「因果の法則なら知ってるよ」と主張するが、それはたいてい前後関係の雑な認識に過ぎない。因果じゃない。
自我を捨てない限り、無常も因縁の法もけっしてほんとうには分からない。
科学がもっと進歩して、人間が遺伝子レベルで完璧に解析され、脳の構造と機能もすべて解明されて、意識のコピーが簡単に作れる日が早く来てほしいです。そうなれば、それでも残る根源的問題が鮮明に浮き上がり、みんなが気づき易くなります。仏出世の一大事因縁を、今より多くの人が知りたいとおもうようになります。意識の非局在性説が正しければ、ずっと先の話になるでしょうが。
意識を脳のある部分の電気信号に還元するのは唯物論で、ブッダの教えとは次元の違う話だとおもってます。アビダンマに「意識は体のある場所にある」と書いてあるそうです。脳でも心臓でもないという非局在性説を想像させます。
仏教の肝は自我を捨てる実践です。おれは形而上学的おしゃべりが嫌いじゃないので、自分のタイムリミットを考えると、強く自戒しないといけないとおもってますが、どうせ形而上学的嗜好を満足させるならアビダンマを学ぶのが良い、とおもいます。これは科学の最終到達地を予め現している奇跡だとおもうので。
(過去記事編集再録)
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