哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

マイルドな自閉症?

いつも拝見させてもらっているブログ「Nec​oPC」に、自分にとって興味深い『意図的なアクションとアスペルガー症候群』という紹介記事があった。

無料のカップ
ジョーは非常にのどが渇いていた。そこで、もっとも大きいサイズのドリンクを買うために、そこのスムージー店に入った。

注文する前に、レジ係は、「あるメガサイズのスムージーを買うなら、特別記念カップに入れて、出しますよ」と言った。

ジョーは答えた ―「特別記念カップはどうでもいい。私はただこの店で最も大きいスムージーが欲しいのだ」。

確かに、ジョーは記念カップに入れられたメガサイズのスムージーを受け取った。
ジョーは、故意に記念カップを得たか?



1ドル別料金

ジョーは非常にのどが渇いていた。そこで、もっとも大きいサイズのドリンクを買うために、そこのスムージー店に入った。

注文する前に、レジ係は、「メガサイズのスムージーは、前にくらべて、1ドル高くなっていますよ」、と答えた。


ジョーは答えた ―「1ドル余計に払わなければならないかどうかはどうでもいい。私はただこの店で最も大きいスムージーが欲しいのだ」。

確かに、1ドル余計に払って、メガサイズのスムージーを受け取った。
ジョーは、故意に(意図的に)1ドル余計に払ったか?



ほとんどの人は、記念カップをもらったのは、故意ではない。
1ドル余計に払ったのは、故意だ(意図的)、と考える。

アスペルガー症候群(マイルドな自閉症)の人は、記念カップをもらったのが故意でないのと同じように、1ドル余計をはらったのも故意(意図的)ではない、と考える。

(Machery, 2008).
But Tiziana Zalla (Zalla and Machery ms).

おれは、若干アスペルガー症候群の傾向があることに気づかされた。

ジョーは店のメガサイズのスムージーを買うと固く決心していて、条件しだいでは買わないという選択肢はない状態です。つまり記念カップが付いてこようが1ドル高かろうが「かならずメガサイズのスムージーを買う」のです。
ほとんどの人(アスペルガー症候群でない人)も記念カップは意図してもらったのではないとおもうのに、1ドル払ったのは意図的だと主張するわけです。それは論理的整合性を欠いているようで、おれには気持ち悪く感じられるのです。そしてこのように感じる人は少数派で「マイルドな自閉症」らしい。ほんとかなとおもいますけど、ちょっとおもしろい。

おれも自分が買う場合だったら「1ドル余計に払わなければならないかどうかはどうでもいい。」なんて不自然な台詞は絶対口にしません。
でもこれはいわば問題文に与えられている条件ですから…どうもそのあたりの受け取りかたが原因で答えが違ってくる気がちょっとします。
このアスペルガー症候群の溝はけっこう深いかも。

(過去記事編集再録)