知らないから気づかないから皆人生大損してる
普通の人間に正邪善悪なんて判りっこない。だから、おれは昔から損得しか頭にない。損得ならなんとか判る気がするからだ。
澤木老師の教えに「得は迷い。損は悟り。」とある。釈尊の教えに「世間は顛倒している。」とある。
得が実は損で、損が実は得ということ。
世間の人間は損を得と思いこんで死んでいく。誰のせいでもない。自業自得。
このような悲惨な顛倒が世間の常態なのはなぜか。
「人は(自分は)死んでも生きている」
と、みんなで妄想しているからだ。
人生にはタイムリミットがある=やるべきこと、やれることの優先順位を間違わないこと、が最も肝心になる。
これを間違うと、さあいよいよ死ぬというその時に「しまった!どうしてもっと前に気づかなかったのか…」と唇を噛むことになる。
誰しも向上心があり、よい人間になろうとして自分の性格を改良したいと欲するものだが、そんなナイーブなアプローチでは一生かけても成功しない。
あえて放っておくほうがいいのだ。まして自分以外の人間のことはいうまでもない。
自他の性格が良かろうと悪かろうと気にするな。そんな問題を優先順位の上位に持ってくる者は全員タイムリミットでアウトになる。
結論だけ。
「あらゆる瞬間にサティを入れる。なにも考えない」ことが極上の生き方だ。つまり、このいちばん損だと感じることこそが、実は最高に得する生き方だという話。
さて、なぜでしょう。
※サティ 「気づき」のこと。
「サティ…は、今という瞬間に完全に注意を集中して自分を客観的によく観察し、「今・ここの自分」に現在進行形で気づいていくことである。妄想に囚われずに今を生きるための実践であり、「サティを入れる」と表現することもある。サティは基本的に瞑想中にするもので、坐禅、経行、立禅の最中に行う。また、歩行時などの日常生活の簡単な動作の最中にサティを入れることもできる。熟練者になると、仕事中や会話中などの複雑な作業をしているときでもサティを行えるようになるとされる。」(Wikipedia〔サティ (仏教)〕http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3_(%E4%BB%8F%E6%95%99)より。)
(過去記事再録)
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