「高野聖」が青空文庫にあったので、数十年ぶりに読み返した。
昔読んだ時に感服したが、今読みなおして泉鏡花の鬼才ぶりを再確認した。
Kyoka Izumi "Kouyahijiri" Shintate Sho CUTNOVEL English

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ(文字をクリック)…うまれつきの色好み、殊にまた若いのが好(すき)じゃで、何かご坊にいうたであろうが、それを実(まこと)としたところで、やがて飽(あ)かれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。
いややがて、この鯉を料理して、大胡坐(おおあぐら)で飲む時の魔神の姿が見せたいな。
妄念(もうねん)は起さずに早うここを退(の)かっしゃい、助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情じゃわ、生命冥加(いのちみょうが)な、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。…
いややがて、この鯉を料理して、大胡坐(おおあぐら)で飲む時の魔神の姿が見せたいな。
妄念(もうねん)は起さずに早うここを退(の)かっしゃい、助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情じゃわ、生命冥加(いのちみょうが)な、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。…
出家者のセックスがあたりまえになって久しい。今や不犯護持するごくごく少数の出家を宗門の異端者よばわりしかねない勢いだ。まして世間をや。 高野聖の心の葛藤が、おおかたの読者にとって意味不明になるのも、そう遠い日の話ではない。
今ならまだ理解できる。 ちょっと古い文体を我慢して最後まで読めば、失望することは決してないとうけあおう。
