哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

不思議な平安。もう一人の自分体験

 もう40年以上昔になるが、おれはおもいきり奇妙な体験をしたことがある。

それを過去記事で
…人生の問題で非常に煩悶していて、それが限界に達した時、突然「自分は死ぬ定めだ」と自覚した。
「人は死ぬ。自分もやがて死ぬ。誰でも知ってる常識だ」といったこととはまるっきり違う強烈な体験だった。
それから1年くらいは何を食べて生きてたのか記憶がない。
周りの全てが違う感じだったが、不思議なほど不安はなかった。(「一時的な”解脱”症状」
と書いた。

周りの全てが違う感じだったが、不思議なほど不安はなかった。←これについて、憶えている事をもう少し具体的に書いてみる。





 部屋の中でソレが起きた直後、たまたまテレビにアップで映ったタレントを見て【この人は自分だ】と感じた。
そのタレントが当時の自分より十歳以上も年上で、おまけに女性だったのにだ。(まあ、その人は大女優・若尾文子さんだったんですが)
その後、誰と会っても、口に出さなかったが【この人は自分だ】と感じる。
あの時、もし誰かに理不尽に殺されたとしても、その人に敵意はもてなかったとおもう。


(やばい!ついにおれは頭がおかしくなった!)と、もちろん焦ったが、それが意識のほんの表皮でパニくって思ってるだけで、その下の心全体はドーンと落ちついて「不思議なほど不安はなかった」のだ。






常世界に戻ってから、あの強烈な実感は日々消え去っていくが、おれは今も確かに知っている。

誰を見ても【この人はもう一人の自分だ】と感じる時、
心は絶大な平安に満たされる。





ちなみに、おれはかなりの人見知り。
気後れしそうな偉い人や、ちょっと苦手な人と会わなきゃならない時に、
この人は、もう一人の自分だ
と無理くりでも思ってから話し出すと、驚くほどスムーズに回っていくことが多い。
あの奇妙な体験は、こういう形でも有効活用できるわけだ。

良かったことは他にもある。
人々が重要視するが実はくだらない多くのことから、それ以来だいぶ自由になれたこと。

しかし、悪いこともある。
へんに気持ちが緩んでしまい、何をやっても真剣に悩めず必死さがなくなったこと。…これは案外、致命傷を負ってしまったのかもしれない。