哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

四聖諦の想像を絶する価値


四聖諦


苦の原因(集諦)によって苦は生じている(苦諦)。

苦を滅する原因(道諦=八正道)によって苦は滅することができる(滅諦)。





ブッダはこの世で比べるもののない四聖諦の価値を例えて、
…百歳まで寿命がある人に百歳まで寿命がある人が、「あなたが百歳になるまで、毎日三百の槍で刺された後でなら四聖諦を教えよう」と言われたら、当然受け入れるべきだ、と説いている。
(相応部マハーヴァーラヴァッガ)
ブッダに過言はない。ブッダの発言は常に精妙無比だ。
四聖諦には凡夫の想像が及びもつかない値打ちがあるとわかる。


[参考]
(HP「ターン・プッタタート」からブッダの言葉を引用させていただきます)

 比丘のみなさん。百歳まで寿命がある人が百歳まで寿命がある人に、「旦那。朝昼晩、百の槍で刺されるのはどうだね。百歳になるまで、毎日三百の槍で刺され、そのように百年が過ぎ、百歳になった時、あなたがまだ知らない四聖諦を知るのを受け入れるかね」とこのように言うようなものです。

 比丘のみなさん。利益がある良家の子息は受け入れるべきです。何故でしょうか。比丘のみなさん。それは、この輪廻には初めと終わりがあるのに、輪廻をしている人は知ることができないからです。だから槍による、刀による、木槍による、斧による処刑の初めと終わりが現れません。同じように比丘のみなさん。私は、四聖諦を知ることは苦や憂いの成り行きにならないと言います。私は反対に、四聖諦を知ることは、幸福や喜びの成り行きになると言います。四聖諦とは何でしょうか。四つとは、聖諦つまり苦、聖諦つまり苦を生じさせる原因、聖諦つまり滅苦、聖諦つまり滅苦に至る道です。

 比丘のみなさん。だからこのことは、みなさん、「苦はこのようで、苦を生じさせる原因はこのようで、滅苦はこのようで、滅苦に至る道はこのようだ」と知るヨーガカンマが無ければなりません。

ヨーガカンマ

(目的を達成するために厳格に系統的にする努力)
相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻551頁1718項

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