(正法眼蔵随聞記←二祖懐奘による高祖道元の教えのメモ)
仏教を見ると、禅宗だけでも大雑把にいって二十四流ある。
仏教以外にキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、神道、儒教、その他いっぱいある。
宗教以外に数学、物理学、化学、社会学、歴史学、心理学、文学、その他ほとんど無数にある。
最初、それらを力の及ぶ限り見渡すことは、見当をつけるために必要だし、避けられないことでもあるとおもう。
その上で、生きているうちにもっとも学ぶべき肝要なものはこれだと決めて、決めたら以後は「一事を専らにすべし」と。
さもないとタイムリミットのある人生は、なにごとも成就せず、後悔と激痛と絶望の中で終わる。
なおざりのゆえに鉄丸を呑むな。(灼熱した鉄丸で)焼かれるときに、「これは苦しい!」といって泣き叫ぶな。
(ブッダの真理のことば371より 中村元訳)
みずから自分を励ませ。
みずから自分を反省せよ。…
実に自己は自分の主である。自己は自分の帰趨である。故に自分をととのえよ。―商人がよい馬を調教するように。
(同378・380 中村元訳)
他人が自分のことを知ることはできない。
ダメな自分を、他人が信じることは不可能だ。
だから、他人が自分を励ますことはできない。
自分だけが、ダメな自分自身をよく知ることができ、それゆえ信じることも可能になる。
だから、自分だけが自分を励ますことができる。
以上を了知して、
実際に本気で、自分を自分で励ますと、これが事前の嫌疑的予測(そんな芝居じみた行為にどんだけの意味があるのやら…)をはるかに超えて効験があるのでびっくりする。
(みずから自分を励ませ。が他ならぬ釈尊の指示だということをあらためておもいしった。これっておれだけ?)
過去記事の増補再録です。
https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ← にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ